今日3月21日は、春分の日。
春のお彼岸は、先祖へのお墓参りをし、仏壇の手入れをする大切な行事です。
私が ”魂の存在を知る” こととなった、先祖とのつながり、そして母からのギフトについて大切な話をしたいと思います。
話は幼少時代に遡ります。
今となって思い出すのは、当時考えていたこと。
それは ”私は何の為に生まれてきたんだろう” ということ。
先祖を大事にする父の元、お盆やお彼岸、お墓参り、その他神社の行事に欠かさずに連れて行ってくれました。そのため、先祖を身近に感じる家庭で育ちました。父は毎日仏壇にお線香をあげ、神棚の水を供え、手を合わせてお参りをするのが日課でした。
魂はお盆とお彼岸にお墓から家に戻ってくる。ろうそくに乗って戻ってくる魂の炎を見ながら、人は亡くなっても魂というものが存在するということを行事を通して家族から教えてもらいました。
子供ながらに魂ってどんな形をしているの?目に見えないけれど本当に存在するの??と想像を膨らませながらも、きっとある!そう信じていました。
高校生の時、初めて身内の葬儀に参列しました。大好きだった祖母が亡くなり、最後に小さな小さな骨壷に納められる様子を目の当たりにした時、「いつかこうして自分の命も終わりが来る」と初めて自分の死について深く考えました。と同時に、死ぬことに対して強い恐怖も感じたのを覚えています。
あれほどの悲しみに包まれた空間にいることは苦しく辛い経験でした。人間の一生について考えた時、ふと幼少時代に考えていたことを思い出し、心の中で思いが重なりました。祖母は何の為に生まれてきていたのだろうか?いずれ終わりが来る限られた人生の中で、人はどうやって生きていくことが正解なんだろう。与えられた命の意味とは?
私の死生観は身近な仏教から形作られていましたが、私が成人した後に最愛なる母の死を経験しました。母は病気で他界しましたが、その時母からもらったギフトが私の人生にとても大きな影響を与えました。
母が全力で生き抜いたこと。最後まで諦めることなく命を大事にしていた姿。そして、どんな状況でも感謝の気持ちで溢れていたこと。言葉ではとても表現できない母の生き様が、私にとって「命の尊さ」や「生きる意味」を教えてくれる教科書となりました。
そして、母が他界した後、私は母と会えず話ができない寂しさの中でもがいていましたが、母は夢に現れたり、他にも様々な現象で私を救ってくれました。肉体が無くなっても、母は魂という形で存在し続けている。それが私にとって、魂が生き続けるということが確信に変わる瞬間でした。そして寂しさから開放されたのです。
それからは、母から学んだ命や魂というものをより大事にして生きていきたいと願うようになりました。
結婚、出産を経験することで、今度は自分以外の命を育てるという大役を担うことになりました。
すくすくと成長し続ける我が子は、力強い生命力とその奥に純粋で美しく輝く魂を潜ませている存在でした。私は、我が子との無条件の愛に触れながら、同時に私自身の命や魂の生きる意味を追求する長い旅が始まったことを感じていました。
今も旅は続いています。
そして私の活動は、母からいただいた命や魂の存在が根本にあります。
話を聴かせていただく時も何かをお伝えする時も、お相手の命や魂の部分を意識し、寄り添わせていただいています。
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