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執筆者の写真Mayuko

母への想い




私の母は、仕事と家事と子育てと何でもテキパキとこなす女性でした。

しつけにおいては厳しい面もありましたが、母の大きな愛と優しさで家族を包んでくれている安心感を感じながら、母との関係性を築いてきました。


忙しい母でしたので、ゆっくりと親子の会話をするというよりは、行動で愛を表現してくれていたように思います。

それももちろん嬉しかったのですが、私は沢山会話をしながら過ごしたかった。

色々なことを話してみたかった。

聞いて欲しかった。


その思いが違った形で爆発してしまった思春期は、叶わぬ思いやそれを伝えられない自分の気持ちがコントロールできず、反抗的な態度で接していました。

その態度に母は激怒し、関係性は悪化するばかり。


当時の私は、話せない、聞いてもらえない、自分の気持ちを分かってほしい、でも理解してもらえない、悲しい、腹立たしい、でもその気持ちを素直に伝えることなんて到底できない。とにかく相手に分かってほしいの一点張りだったと思います。


自分が親という立場になった今、母は母で子供に理解してもらえない苦しさがあったのではないかと想像できます。


奇しくも、私の願いが実現したのは母が病気になってからでした。

6年の闘病生活の中で、母の枕元や電話で話を聞いてもらう機会は、私にとって母との大切で貴重な時間でした。


今なら、共感リスニングで母の辛い気持ちや思いを深い部分まで聞いてあげることができたかもしれませんし、聞いてあげたかった。

その時は母に寄り添うことが大事だと思っていましたが、母も弱音を吐いたり、聞いてもらいたいことがあったと思います。


若くして他界した母は、私を成長させる多くのギフトを残してくれました。

共感リスニングのセッションの時間は、いつも母がそばにいてくれて、生前より身近な存在に感じています。






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